無量寺 (横浜市南区)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 無量寺 (横浜市南区)の意味・解説 

無量寺 (横浜市南区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/28 01:45 UTC 版)

無量寺
所在地 神奈川県横浜市南区蒔田町174
位置 北緯35度25分43.0秒 東経139度36分36.2秒 / 北緯35.428611度 東経139.610056度 / 35.428611; 139.610056座標: 北緯35度25分43.0秒 東経139度36分36.2秒 / 北緯35.428611度 東経139.610056度 / 35.428611; 139.610056
山号 南龍山
院号 不動院
宗派 高野山真言宗
本尊 不動明王
創建年 承元3年(1209年
開山 貞暁
正式名 南龍山不動院無量寺
別称 鉄縛り不動
札所等 武相不動尊霊場第16番、横浜市内觀音三十三所霊場第32番
公式サイト 無量寺
テンプレートを表示

無量寺(むりょうじ)は神奈川県横浜市南区にある高野山真言宗仏教寺院。山号は南龍山、院号は不動院。鉄縛り不動(かなしばりふどう)として親しまれている。

本尊

  • 不動明王:侵入した泥棒が動けなくなった故事から、鉄縛り不動と呼ばれる[1]

歴史

源頼朝の死後、庶子貞暁北条時政から鎌倉へ招聘された途上、蒔田において不動明王のお告げを受け、招聘を断って世間と隔絶した中で一人修行に励んだ。これ以降、源氏一族は権力闘争の中で次々を命を落としてゆくことになる。 この縁により[1]、貞暁は承元3年(1209年)当地に堂宇を建立し、不動明王を安置したと伝わる。 寛永11年(1634年)の火災で焼失し、古記録も悉く失われたが、同年の『関東古義真言宗本末並寺領有無帳』には寺名が見える。同じく貞暁創建と伝えられる、杉山神社の別当寺であった。 大正12年(1923年)の関東大震災でも焼失し、興廃変遷しながら、昭和8年(1933年)に現堂宇を造営した。[2]

所在地・交通

神奈川県横浜市南区蒔田町174

脚注・参考文献

  1. ^ a b 無量寺説明書(2017年5月)
  2. ^ 『横浜市史稿 仏寺編』第4章仏寺各説 第2節真言宗 第1項古義真言宗 33無量寺

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  無量寺 (横浜市南区)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「無量寺 (横浜市南区)」の関連用語

無量寺 (横浜市南区)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



無量寺 (横浜市南区)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの無量寺 (横浜市南区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS