無為信寺とは? わかりやすく解説

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無為信寺

読み方:ムイシンジ(muishinji)

別名 真宗二四輩旧跡

宗派 真宗大谷派

所在 新潟県阿賀野市

本尊 阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

無為信寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/16 13:13 UTC 版)

無為信寺
改修中の無為信寺と無為信寺橋(2020年5月)
所在地 新潟県阿賀野市下条町8-21
山号 佛性山
院号 金剛院
宗派 真宗大谷派
正式名 佛性山金剛院無爲信寺
札所等 二十四輩
文化財 金剛頂経曼殊室利菩薩五字心陀羅尼品、悉曇集記 上中 淳祐筆 2巻、藤原氏系図 1巻(重要文化財)ほか
公式サイト [公式ウェブサイト ]
法人番号 5110005003767
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寺が所有する旧佐藤家米蔵[1]。駒林川を挟んで寺の向かいにある(2020年5月)

無為信寺(むいしんじ)は、新潟県阿賀野市にある真宗大谷派仏教寺院である。二十四輩親鸞の24人の高弟)の一人・無為信所縁の寺であり、香樹院徳龍など多くの学僧が輩出した。

歴史

起源

二十四輩の一人である無為信によって創建された。もとは会津門田一ノ堰に設けられ、近世には棚倉藩主内藤家に保護され、一ノ堰から棚倉に移った。その後、藤枝京都六条に移ったが、諸事情により本山(東本願寺)預かりとなっていた。

再興

越後国蒲原郡下条村[要曖昧さ回避]豪農・佐藤宗栄(伊左衛門)は、私財を投じて無為信寺の復興を志し、1760年宝暦10年)に新潟即得寺順崇住職に迎え、無為信寺を再興した。

香樹院徳龍

第1世住職の順崇は、伊左衛門の次女きやと結婚し、5男をもうける。その次男の第3世住職が香樹院徳龍である。高倉学寮深励に師事し、東本願寺学寮の最高学位である講師に就任、「学識は香月院(深励)、徳行は香樹院(徳龍)」と称され、倫理や生活規範に真宗の教義を生かした教化を行った。甥の第5世住職・香涼院行忠も学寮の講師となった。他にも、徳猊や慈影など著名な学僧が無為信寺から輩出した[2]

文化財

重要文化財(国指定)
  • 金剛頂経曼殊室利菩薩五字心陀羅尼品 淳祐筆 1巻[3][4]
  • 悉曇集記 上中 淳祐筆 2巻[5][6]
  • 藤原氏系図(隆家流) 1巻[7][8]
新潟県指定有形文化財
  • 古論草 283冊[9]
  • 方便法身尊像 1幅[10]

交通アクセス

脚注

外部リンク

座標: 北緯37度50分16秒 東経139度13分19.3秒 / 北緯37.83778度 東経139.222028度 / 37.83778; 139.222028



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