学寮 (東本願寺)
高倉学寮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/25 05:36 UTC 版)
1755年(宝暦5年)、講師・恵然の時に高倉通魚棚に移り、これ以降は「高倉学寮」と呼ばれるようになる。この移転を機に恵然は学寮諸制度の整備に着手し、講師職については学寮内に居住し、職務に専念するものとすると同時に、1人終身制で学寮全般を管理し、夏安居の講師をも務める東本願寺最高の権威を持った学匠へと改めたのであった。この新制講師の初代には、恵然の後継者の恵琳が就任した。 1757年(宝暦7年)、夏安居に加えて春・秋の講義が新設され、これと共に、講師・嗣講・擬講のヒエラルキーが形成された。1794年(寛政6年)には香月院深励が講師となり、宗学を大成した。
※この「高倉学寮」の解説は、「学寮 (東本願寺)」の解説の一部です。
「高倉学寮」を含む「学寮 (東本願寺)」の記事については、「学寮 (東本願寺)」の概要を参照ください。
- 高倉学寮のページへのリンク