烏丸冬光
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時代 | 室町時代中期 - 後期 |
生誕 | 文明5年(1473年) |
死没 | 永正13年5月5日(1516年6月5日) |
別名 | 号:後乗林院 |
官位 | 正三位、権中納言 |
主君 | 後土御門天皇→後柏原天皇 |
氏族 | 日野家→烏丸家 |
父母 | 父:日野勝光、母:烏丸益光の娘 養父:烏丸資任 |
兄弟 | 日野政資、冬光、ほか |
妻 | 鴨信祐の娘 |
子 | 資蔭、光康、娘(朝倉景高室) |
烏丸 冬光(からすまる ふゆみつ)は、室町時代中期から後期にかけての公卿。 官位は正三位・権中納言[1]。
生涯
明応4年(1495年)9月、冬光の兄・日野政資が死去すると、徳大寺実淳の次男である内光が政資の遺言に従って日野家の家督を継承した。だが、冬光も日野家の相続権を主張するなど、日野家中には大きな反発があったという。
脚注
関連項目
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