火中の栗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/08 07:09 UTC 版)
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火中の栗(かちゅうのくり)は、ヨハン・ブラーケンシークによる絵画(風刺画)作品[1]の日本における俗称。原題は "De Mogendheden en Mantschoerye"(列強と満洲)[2]。
概要
ロシアが焼いている栗を、イギリスが指を指して日本に取りに行くようにけしかけ、日本は刀に手をかけているという構図の風刺画[1]。1903年10月13日の中央新聞に掲載された。元々はこの風刺画はオランダの新聞『アムステルダーメル』に掲載されたものだった。ただし、中央新聞はイギリスの雑誌の転載によってこの絵を知った可能性もある[1]。イギリスが日本に取りに生かせようとしていた栗というのは、当時の大韓帝国であった[3][信頼性要検証]。この風刺画は日英同盟の風刺画であり、当時の日英の関係性が表現されていた。当時のイギリスというのは世界各地を植民地支配するための戦争を行っており、極東では日本の軍事力を利用しようとしていたということが描かれていた[4]。栗は中国という解説もある。イギリスとアメリカが奪いたいと思っていたのだが、ロシアと揉め事を起こしたくないと思っていたために日本をそそのかしてロシアに送ろうとしていて、当時の日本はイギリスとアメリカの協力を得たいと思っていたために、そそのかされてロシアの元に向かっていたのであった[5]。日本がロシアに向かって行った際に米英は利害が一致していたものの、傍観して黙認しているという様であった[6]。
脚注
- ^ a b c “万国風刺漫画大全復刻集成 1890-1940年 | 教育と研究の未来”. 教育と研究の未来|紀伊國屋書店 営業総本部 (2020年11月29日). 2025年6月26日閲覧。
- ^ 外部リンクの項にある元絵を参照のこと。
- ^ sengoshikaigi. “・「火中の栗」を拾う”. 戦後史会議・松江. 2025年6月26日閲覧。
- ^ “日英同盟”. 刀剣ワールド. 2025年6月26日閲覧。
- ^ “風刺画の傑作まとめ18選!歴史的に有名な風刺画とその背景を解説 | thisismedia”. thisismedia | アートをもっと好きになる美術・芸術メディア (2021年4月27日). 2025年6月26日閲覧。
- ^ “風刺漫画から見る、メディアとの距離感”. 大阪大学. 2025年6月26日閲覧。
外部リンク
- Bijvoegsel "Amsterdammer" (serie): (12-7) De mogendheden en Mantschoerije - ブラーケンシークによる元絵。ヨーロピアナのサイト内。
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