溝口喜六とは? わかりやすく解説

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溝口喜六

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 05:48 UTC 版)

溝口 喜六(みぞぐち きろく、1876年 - 1953年)は、日本医師福岡県医師会第四代会長を務め[1]、九州医学専門学校(現・久留米大学医学部)の設立に尽力すると共に初代理事長を務めた[1][2]。久留米大学本館前には久留米大学の発展に尽力した1人として胸像が設置されている[2]

人物

1876年11月に佐賀県にて溝口祐三、サカの次男として産まれる[3]

第三高等学校医学部を卒業し、東京帝国大学医科大学(現・東京大学大学院医学系研究科・医学部)で研修の後、県立福岡病院(現・九州大学病院)の医員となる。福岡医科大学が創設されると、そちらの勤務となり[4]、初代学長である大森治豊を補佐した[5]。1905年には第六回日本外科学会において「福岡医科大学大森外科ニ於ケル胃ノ疾患ニ対スル 従一八九九年 至一九〇四年 六年間ノ手術ニ就テ」を発表する[5]

1909年福岡市内に溝口外科医院を開院する[6]

1919年に福岡県医師会第四代会長に就任し[4][6]、1938年まで務める[4]

1942年には、南方派遣診療団の団長としてスマトラ島へ赴き、現地での診療と熱帯医学の研究に従事している[2][7]

妻・溝口敏子は日本キリスト教婦人矯風会の会員で、福岡支部にて廃娼運動を行っている[8]

出典

  1. ^ a b 筑後の医療の歴史~久留米の医学始まりを中心に~”. 筑後市立病院 (2022年5月). 2025年3月8日閲覧。
  2. ^ a b c Kurume University School of Medical OPEN CAMPUS 2024.07.21 Sun” (PDF). 久留米大学 (2024年). 2025年3月8日閲覧。
  3. ^ 溝口喜六 (第8版 [昭和3(1928)年7月] の情報)”. 名古屋大学大学院法学研究科・法学部. 2025年3月8日閲覧。
  4. ^ a b c キュウシュウ ダイガク ヒャクネンシ ダイ1カン : ツウシシヘン 1” (PDF). p. 53. 2025年3月8日閲覧。
  5. ^ a b 佐藤裕. “日本の近代外科黎明期における胃癌手術”. 日本医史学会. 2025年3月8日閲覧。
  6. ^ a b 沿革・概要”. 溝口病院. 2025年3月8日閲覧。
  7. ^ 本学のあゆみ”. 久留米大学医学部同窓会. 2025年3月8日閲覧。
  8. ^ 森崎和江「「慰安婦」が帝国議会で承認される」『買春王国の女たち』論創社、2024年。ISBN 978-4846023461 



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