准胝観音
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准胝観音(じゅんでいかんのん、じゅんていかんのん)は、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。準胝観音または準提観音とも書く。准胝仏母とも。
注釈
- ^ ダーラニー(Dhāranī)は女性名詞。
- ^ チュンダー陀羅尼(准胝陀羅尼):「七千万の正等覚者に帰命する。オーム・チャレー・チュレー・チュンデー・スワーハー。」[15]
- ^ セイロン島やタイ、インドネシアを始めとする東南アジア一帯は、今日では上座部仏教やイスラム教などで知られるが、もともとは大乗仏教と、その後に伝播した密教やヒンドゥー教の文化圏でもあった。インドネシアには、さまざまな密教遺跡やヒンドゥー教遺跡が残るが、東端のバリ島は、唯一のヒンドゥー教圏として有名であり、現在は土着の文化となった「ケチャ」は有力な観光資源となっている。
- ^ 梵文を Oṃ cale cūle cundi svāhā とし、中間の三語を「遊行尊よ、頂髻尊よ、清浄尊よ」と解するものもある[22]。
- ^ ここでいう「寶瓶」(ほうびょう)は、准胝観音の持物である「如意瓶」を指している。「如意瓶」は、「准胝法」において道場荘厳用の重要な法具でもあり、三昧耶形においては衆生を潤す方便を司る。
- ^ 「金剛杵」(こんごうしょ)は「五鈷杵」(ごこしょ)とも呼ばれる。「准胝法」においては菩提心を意味し、五鈷杵の中心部分に覚りとしての種子(しゅじ:密教用語)である梵字の唵(オン)字や阿(ア)字、吽(フーム)字を現出するので、三昧耶形においては智慧を司る。
- ^ 「三式」(さんしき)は太乙神数・奇門遁甲・六壬神課の三つからなる古代中国の運命学の一つで、隋から唐の時代に完成されたといわれていて、日本にも飛鳥時代から平安時代に渡来したとされている。袁了凡が「三式」を学んだかどうかの史実は確認しがたいが、現在の中国の資料にそのような伝説が載せられている。これは「三式」の中の奇門遁甲が中国では軍学や兵術にも数えられ、袁了凡が倭寇を平定し、朝鮮出兵を退けたという史実に対して占術と結びつけて仮託されたものとも考えられる。また、袁了凡が学んだのは「三式」ではなく、『陰騭録』には「易の大家である邵康節先生の秘伝を受け継いだ孔先生」とあるところから、『皇極神数』(こうきょくしんすう;『邵子皇極経世』のこと)や、『鉄版神数』(てっぱんしんすう)であるとする説もある。『鉄板神数』は清代に中国で流行した易学であるが、日本ではまだあまり知られていない。その『鉄板神数』のなかでも、「中州派」と呼ばれる古流派は邵康節の伝とされ、江戸時代の日本には『前定易数』の別名で明代の版本が中国密教と共に伝わっていた。
- ^ ここでは数え年なので、52歳とする見方もある。
- ^ 説法印には2種類ある。日本式の尊像は両手を開いた、如来もしくは菩薩形の説法印、中国式の尊像は両手の指を組んだ「准胝根本印」とも呼ばれる説法印を結ぶ。
- ^ 京都にある仁和寺ではない。
出典
- ^ a b 「准胝観音」 - 大辞林 第三版、三省堂。
- ^ 森雅秀『インド密教の仏たち』、春秋社、2001年、202頁。
- ^ 田中公明『図説チベット密教』春秋社、2012年、172頁;同「密教の尊格とその図像」『シリーズ密教1 インド密教』春秋社、新装版2005年、106頁。
- ^ 森雅秀『インド密教の仏たち』春秋社、2001年、210-212頁
- ^ a b c 田中公明 『仏教図像学』 春秋社、2015年、128頁。
- ^ 森雅秀『インド密教の仏たち』、春秋社、2001年、305頁、第5章の註(31)
- ^ 『岩波 仏教辞典 第2版』、「准胝観音」の項
- ^ 佐藤任『密教の神々』、平凡社ライブラリー、p.137
- ^ 『コンサイス佛教辞典』大東出版社、新版 1980年。
- ^ 岩本裕『日本佛教語辞典』平凡社、1988年。
- ^ 中村元『広説佛教語大辞典』東京書籍、2001年。
- ^ a b 斎藤昭俊『インドの神々』吉川弘文館、2007年(旧版1986年)、152-153頁。
- ^ 佐藤任 『密教の神々』 平凡社〈平凡社ライブラリー〉、2009年、99頁。
- ^ 佐藤任 『密教の神々』 平凡社〈平凡社ライブラリー〉、2009年、137-138頁。
- ^ a b 佐久間留理子 「『カーランダ・ヴューハ・スートラ』における六字真言と准胝陀羅尼」『印度學佛教學研究』 64(1)、日本印度仏教学会、p.423、2015年12月。NAID 110010033491
- ^ 『不空羂索・准胝観音』(至文堂)、p68。
- ^ 清水乞 著、第五章 密教の美術「マーリーチーとチュンダー」、『アジア仏教史・インド編Ⅳ 密教』(佼成出版社)、pp.240-242。
- ^ 森雅秀『インド密教の仏たち』春秋社、2001年、202頁
- ^ 『インドネシアの遺跡と美術』(日本放送出版協会)、pp74-153。
- ^ 『高野山』(総本山 金剛峯寺)、p15。
- ^ 服部法照「中国鏡にみられる准堤信仰」印度學佛教學研究 44(1)、1995年、p.90
- ^ 坂内龍雄『真言陀羅尼』平河出版社、1981年、83-84頁。
- ^ 『現代語訳付き「七観音」経典集』(大法輪閣)、「准提陀羅尼經」、p156、p162。
- ^ 「口語で読む禅の古典『無門関を読む』」(PHP研究所)、pp.54-58。
- ^ 「東洋庶民道徳 - 『陰騭録の研究』 - 」(明徳出版社)、p19。
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