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源雅重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/18 02:28 UTC 版)

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源雅重
時代 平安時代後期
生誕 嘉承元年(1106年)頃?
死没 長寛元年12月8日1164年1月3日
官位 正五位下紀伊守中務権大輔
主君 崇徳天皇近衛天皇後白河天皇二条天皇
氏族 三条源氏
父母 父:源行宗、母:源基綱
兄弟 行海、任覚、行暁、琳円、倫円、行時、雅重、行雲、有通、行仁、行智、行増、輔仁親王
養兄弟:兵衛佐局
平忠盛
基宗、基能、基行
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源 雅重(みなもと の まさしげ)は、平安時代後期の貴族歌人三条源氏非参議源行宗の子。官位正五位下紀伊守

経歴

三条天皇の玄孫で、父・行宗は公卿になったが、姉妹が白河天皇と対立する異母弟・輔仁親王の妃であったこともあり、官位は振わず、長承3年(1134年)に従五位上に叙された後、因幡権守・紀伊守を務め、また斎院長官(斎院司の長官)として姪にあたる斎院怡子内親王の補佐をした。

仁平2年1月8日1152年2月15日)に斎院長官の労によって正五位下に叙され[1]保元2年(1157年)に斎院長官を息子・基能に譲る事が認められ、その後、時期は不明ながら中務権大輔に任じられて在任中に死去した[2]勅撰和歌集においては『千載和歌集』に1首採用されているのみであるが、二条天皇歌合には何度も召されており歌人としても能力があったとみられている。

系譜

  • 父:源行宗
  • 母:源基綱の娘
  • 妻:平忠盛の娘
    • 男子:源基宗
  • 生母不明の子女
    • 男子:源基能
    • 男子:源基行

脚注

  1. ^ 本朝世紀』・『兵範記』。
  2. ^ 『顕広王記』長寛元年12月8日条。

出典

  • 中村文『後白河院時代歌人伝の研究』笠間書院、2005年、149 - 156頁。ISBN 4-305-70296-7
  • 赤羽淑「源雅重」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7



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