源河大川とは? わかりやすく解説

源河川

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/03 14:59 UTC 版)

源河川
「源河節の碑」付近


水系 二級水系 源河川
種別 二級河川
延長 12.8 km
平均流量 0.58 m³/s
(源河カジュマル原)
流域面積 19.4 km²
水源 大湿帯(オーシッタイ)
河口・合流先 東シナ海
流域 日本 沖縄県名護市
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源河川(げんかがわ、じんかがー)は、沖縄島北部の名護市源河地区内を流れる二級河川である。源河走川(じんかはいかー)、源河大川[1] とも呼ばれる。

地理・生物

名護市北部にある一ッ岳の北東に広がる大湿帯(オーシッタイ)付近に発し、蛇行しながらおおむね北西から北へ流れ、中流にある「源河節の碑」付近で北東に向きを変えて下流部で桃原川、福地川を合流し源河集落を抜けて東シナ海に注ぐ。名護市内最大の河川である。

アオバラヨシノボリ、ナガノゴリ、アヤヨシノボリ、タイワンキンギョタウナギリュウキュウアユなどが生息する。下流部は汽水域となっておりボラハゼフナなどが見られる[2][3]

利水

河口から1.5キロメートルの桃原川合流点直上付近に取水堰があり、沖縄県企業局が1日あたり1,440立方メートルの上水道用水を取り入れている。この他に農業用水や工業用水も取水されている。取水堰から上流5キロメートルに砂防堰堤がある[4]。リュウキュウアユなどの遡上を促すため、1993年(平成5年)、取水堰と砂防ダムに魚道が追加されている[3]

歴史

古くから清流として知られ、源河節(平敷節)に「源河走川や潮か湯か水か、源河みやらべたがおすでどころ」と歌われる[5]。河口部はかつて「ギンカンナト」と呼ばれる港湾として使われていた[4]

リュウキュウアユはかつて普通にみられ、1930年(昭和5年)に養殖する計画が進められたが第二次世界大戦のため中断された[6]沖縄戦後の乱獲や流域の開発による赤土流入、畜産施設の排水流入などのため、源河川を始めとする沖縄島のアユは1980年前後に絶滅した。1985年(昭和60年)頃から河川を再生させる市民運動が始まり、翌1986年3月28日、「源河川にアユを呼び戻す会」が設立された[7]。1991年(平成3年)、河畔にリュウキュウアユ種苗センターがつくられ、翌1992年7月8日に稚魚が放流された。その後の調査においてリュウキュウアユの遡上が観察され、定着しつつあることが確認された[2][8]

脚注

  1. ^ 国土地理院2万5千分の1地形図『仲尾次』
  2. ^ a b 『名護市の淡水魚類』 pp.13-16
  3. ^ a b 『名護市史・本編7』 pp.34-35
  4. ^ a b 『沖縄県主要水系調査書』 p.16
  5. ^ 「源河節の碑」碑文
  6. ^ 『名護市の淡水魚類』 pp.103-112
  7. ^ 『名護市史・本編7』 pp.441-444
  8. ^ 沖縄総合事務局北部ダム事務所 『リュウキュウアユの生息環境及び追跡調査結果(福地ダム・源河川)』 「沖縄におけるリュウキュウアユの現状」 p.7、1994年

参考文献

  • 沖縄県企画開発部土地利用対策課 『沖縄県主要水系調査書(沖縄本島中北部地域)』 昭和63年3月
  • 幸地良仁 『名護市天然記念物調査報告4 名護市の淡水魚類』 名護市教育委員会、1999年
  • 名護市史編さん委員会編 『名護市史・本編7 社会と文化』 名護市役所、2002年




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