湯治場から温泉街へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 08:13 UTC 版)
湯西川温泉は元来、近在の農民の湯治場であり、第二次世界大戦前までは、自炊しながら逗留する湯治客のための木造の長屋が建ち並んでいた。住民の多くは観光業ではなく、狩猟や木彫り工芸で生計を立てていた。 1956年(昭和31年)に五十里ダムが完成すると、湯西川温泉は「鬼怒川温泉の奥座敷」として注目を浴び、以来10年ほど男性客が芸者遊びに訪れた。その後、道路整備が進んで大型観光バスが温泉街まで入れるようになり、近代的なホテルが建ち並ぶ温泉街が形成された。
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