渋江政光
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 08:15 UTC 版)
渋江 政光(しぶえ まさみつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。小山家、佐竹家家臣。出羽久保田藩(秋田藩)の家老を務めて藩政改革を行った。通称は内膳。
- ^ 小場義宗養子、義成養弟。
- ^ 庶長子、初め荒川光康といい、のちに宣光の後を継ぐ。
- ^ 「政」の字はこれ以前に小山秀綱の子・政種から偏諱を受けた可能性もある。
- ^ 『大坂御合戦実録』の記述による。一方、『国典類抄』に記載されている、義宣の命で政光の死骸を検視した須田伯耆の言では「何れも槍疵であり、鉄砲疵はなかった」となっている。秋田県公文書館 - 古文書倶楽部(バックナンバー) - 古文書倶楽部 第7号
- ^ a b c 渡部 1983, pp. 53–54
- ^ “2020年度林業遺産(No.43)秋田藩家老渋江政光の林業思想に関する古文書及び石碑”. 日本森林学会 (2021年). 2021年6月19日閲覧。
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