浅香末起とは? わかりやすく解説

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浅香末起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/28 14:35 UTC 版)

浅香 末起(あさか すえき、1896年11月[1] - 1971年[2])は、日本植民政策学者。

経歴・人物

福岡藩士族徳島徳の四男として福岡県に生まれる[1]。1914年福岡県立中学修猷館[3]、1917年第二高等学校[4]を経て、1921年3月京都帝国大学経済学部を卒業[5]。京大在学中に浅香家に迎えられ結婚し、浅香に改姓した[6]

1921年4月日本銀行に入行するが、研究者を志し、1923年2月台北高等商業学校(現・国立台湾大学管理学院)講師に就任、1924年5月同教授に昇任する。1931年2月大阪商科大学(現・大阪市立大学)助教授に転じ、1933年3月同教授に昇任する。1935年10月から1年間、植民政策研究のため欧米に留学し、1941年7月より1944年9月まで、大阪商科大学に在籍したまま外務省事務嘱託を務める。終戦後1946年4月、その研究内容から公職追放により大阪商科大学を退職する。1947年11月貿易会社を設立し経営。1951年9月公職追放が解除され、近畿大学商学部教授に就任[7]

1953年10月名城大学法商学部教授に就任。その後同大において、法商学部長、および1967年4月同学部が分離した商学部長を歴任する。1969年3月定年退職[7]

著書 

  • 『銀行論』(宝文館、1926年)
  • 『ジャワ経済界の現況と蘭印の原始産業』(台北高商南支南洋研究会、1930年)
  • 『満洲移民問題と実績調査』(岩波書店、1937年)
  • 『世界経済の展開過程』(日本評論社、1940年)
  • 『南方事情』(上下二巻)(大阪市産業部、1942年)
  • 『南方交易論』(千倉書房、1943年)
  • 『南洋経済研究』(千倉書房、1943年)
  • 『大南方経済論』(太平洋書館、1944年)

脚注

  1. ^ a b 『人事興信録第14版』(人事興信所、1943年) ア-84頁
  2. ^ 『人物物故大年表 日本人編 Ⅱ(1946-2004)』229頁(日外アソシエーツ、2006年)]
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員10頁
  4. ^ 『第二高等学校一覧(自大正9年至大正10年)』(第二高等学校、1920年)269頁
  5. ^ 『京都帝国大学一覧(自大正14年至大正15年)』(京都帝国大学、1926年)卒業生姓名659頁
  6. ^ 寺沢正雄「浅香末起教授定年退職記念論文集刊行に際して」名城商学第18巻第4号 浅香末起教授定年退職記念号(名城大学商学会、1969年)1-6頁
  7. ^ a b 「浅香末起教授略歴・主要著作目録」名城商学第18巻第4号 浅香末起教授定年退職記念号(名城大学商学会、1969年)183-185頁



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