浅間神社 (志木市)とは? わかりやすく解説

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浅間神社 (志木市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/02 15:21 UTC 版)

浅間神社
所在地 埼玉県志木市上宗岡4-27-20
位置 北緯35度51分06.2秒 東経139度35分05.1秒 / 北緯35.851722度 東経139.584750度 / 35.851722; 139.584750 (浅間神社 (志木市))座標: 北緯35度51分06.2秒 東経139度35分05.1秒 / 北緯35.851722度 東経139.584750度 / 35.851722; 139.584750 (浅間神社 (志木市))
主祭神 木花開耶姫命
社格 村社
創建 建久4年(1193年
別名 羽根倉浅間神社
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浅間神社(せんげんじんじゃ)は、埼玉県志木市神社

歴史

1193年建久4年)に創建された。鎌倉幕府初代将軍源頼朝富士の巻狩りを挙行した際に、宗岡村の村民は勢子として動員された。その代償として、年貢が免除された。これを記念して富士山を祀る浅間神社を創建した[1]

長禄年間(1457年 - 1460年)、元々は別の場所に位置していたが、荒川洪水により、が現在の羽根倉橋の上流部に流れ着いた。これを神の意志と感じた村民は、そこに社殿を建てたという[1]

明治初期、近代社格制度に基づく「村社」に列せられた。そして境内には「羽根倉富士嶽」と呼ばれる富士塚が築かれた。その後も荒川の改修工事もあり、別の場所に移転した。そして1973年昭和48年)の埼玉県道16号浦和所沢線(現・国道463号)の開通により、現在地に移転した。富士塚も、その都度当社とともに移転している[1]

文化財

  • 羽根倉富士嶽(志木市指定文化財)[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年、536-537p
  2. ^ 志木市文化財・歴史ガイド”. 志木市. 2025年3月2日閲覧。

参考文献

  • 埼玉県神社庁神社調査団 編『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁、1998年



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