浅野長政 隠棲の跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 16:51 UTC 版)
白糸台五丁目に位置する、五奉行筆頭としても辣腕を振るった浅野長政の屋敷跡。長政は、秀吉の死の翌年である慶長4年9月に前田利長・大野治長等と共に徳川家康暗殺を企んだとして罪状をデッチあげられ、長男の幸長に家督を譲って、府中在住の旧家臣平田家の屋敷へ隠居した。但し、翌9月の関ヶ原合戦では東軍に組したため、罪を許され、家康に近侍するようになり、慶長11年には紀伊国和歌山370,000石の幸長の所領とは別に常陸国真壁50,000石を隠居料として与えられている。その地は、府中白糸台幼稚園となっている。
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