浄土真宗東本願寺派の分立
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「お東騒動」の記事における「浄土真宗東本願寺派の分立」の解説
この改革に対し保守派は、当時同派の東京別院東京本願寺住職であった大谷光紹(興如)(大谷光暢の長男)を中心に、教学の構築・教団の運営は従来通り伝統的権威と権限とを有する法主を中心になされるべきであるとの姿勢を保ち、この見解に賛同する末寺・門徒も少なくない状況であった。 これらの人々は、1981年6月15日、大谷派における宗憲の改正と時期を同じくして、東京都知事の認証を得て、住職を務めていた東京別院東京本願寺を、大谷派から分離独立させる。 そして1988年2月29日に、同寺を中心にこれに賛同する末寺・門徒をまとめて「浄土真宗東本願寺派」を結成し、大谷光紹が東本願寺第二十五世法主に就任すると宣言する。
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