洞雲院 (愛知県阿久比町)とは? わかりやすく解説

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洞雲院 (愛知県阿久比町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/23 16:31 UTC 版)

洞雲院
所在地 愛知県知多郡阿久比町卯坂英比67
位置 北緯34度56分29.3秒 東経136度54分47.1秒 / 北緯34.941472度 東経136.913083度 / 34.941472; 136.913083座標: 北緯34度56分29.3秒 東経136度54分47.1秒 / 北緯34.941472度 東経136.913083度 / 34.941472; 136.913083
山号 龍渓山
宗派 曹洞宗
創建年 948年
中興年 1494年
中興 久松定益
正式名 久松寺洞雲院
札所等 知多四国霊場霊場15番
法人番号 3180005011947
洞雲院
洞雲院 (愛知県)
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洞雲院(とううんいん)は、愛知県知多郡阿久比町にある曹洞宗寺院[1]山号は龍渓山。知多四国霊場第15番札所、尾張三十三観音霊場第6番札所。徳川家康の生母である於大の方菩提寺でもある。

由緒

948年(天暦2年)、菅原道真の孫である菅原雅規が開基となり、洞雲院の前身となる久松寺[2]を創建したと伝わる。1494年(明應3年)、雅規の後裔である久松定益が曹洞宗の洞雲院として再建した。1547年天文16年)、久松俊勝のもとに徳川家康の生母である於大の方が再嫁された。坂部城に在城の15年間に三男四女の計7人の子女が出生している。境内墓地には於大の方をはじめ、久松松平家の13基の墓がある。 毎年3月16日には、於大の方が女性の幸福招来を願って始まった観音懺法会(通称おせんぼ)が行われる[3]

ギャラリー

脚注

  1. ^ 洞雲院”. 曹洞禅ナビ. 2020年6月22日閲覧。
  2. ^ 寺号は菅原雅規の幼名である久松麿にちなむ
  3. ^ 由緒はすべて現地案内板より

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