法華寺碑
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建碑は開元23年(735年)。李邕が括州刺史のときに文を撰して行書体で書いたもので、57歳の作である。碑の記末に「刻字者は東海の伏霊芝」とあるが、麓山寺碑の仙鶴と同様、伏霊芝も李邕のこととされている。原碑が元末に亡失したため、碑の大きさや碑額は不明であるが、翻刻では23行、各行52字になっている。 法華寺は東晋の安帝の義熙13年(417年)、釈曇翼が秦望山の西北の地に創建したもので、碑はその曇翼の頌徳碑である。
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法華寺碑
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建碑は開元23年(735年)。李邕が括州刺史のときに文を撰して行書体で書いたもので、57歳の作である。碑の記末に「刻字者は東海の伏霊芝」とあるが、麓山寺碑の仙鶴と同様、伏霊芝も李邕のこととされている。原碑が元末に亡失したため、碑の大きさや碑額は不明であるが、翻刻では23行、各行52字になっている。 法華寺は東晋の安帝の義熙13年(417年)、釈曇翼が秦望山の西北の地に創建したもので、碑はその曇翼の頌徳碑である。
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