泉正寺_(刈谷市)とは? わかりやすく解説

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泉正寺 (刈谷市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 08:12 UTC 版)

泉正寺
所在地 愛知県刈谷市東境町児山223
位置 北緯35度02分22.5秒 東経137度02分8.4秒 / 北緯35.039583度 東経137.035667度 / 35.039583; 137.035667座標: 北緯35度02分22.5秒 東経137度02分8.4秒 / 北緯35.039583度 東経137.035667度 / 35.039583; 137.035667
山号 寂静山
宗旨 浄土真宗
宗派 大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 1352年
開山 俣野入道
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泉正寺(せんしょうじ)は、愛知県刈谷市東境町児山223にある真宗大谷派寺院。山号は寂静山。本尊は阿弥陀如来。文和年間(1352年~1356年)創建。

歴史

中世

文和年間(1352年~1356年)、俣野入道によって念仏道場が開かれた[1]。寺伝によると、松平氏徳川氏の始祖とされる松平親氏が酒井郷(現在の東境町や西境町)でおこん(静寂院殿)を娶っており、親氏の父得川有親とおこんの父神谷与四郎が道場の檀越となったとされる[1]。静寂院殿や有親の妻高岳院殿の墓があるほか、須弥壇の打敷には三つ葉葵紋が入っている[2]。もとは時宗の寺だった[1]

近世

文禄元年(1592年)、8代和泉房正阿弥が教如に帰依して浄土真宗に改宗し、寺号を泉正寺に改めた[1]

延享5年(1748年)には尾張藩鋳物師である水野平蔵政重(水野平蔵家)によって梵鐘が造られた[3]

近代

太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)8月、名古屋市立広見国民学校の職員5人と児童180人が富士松村に学童疎開し、遊心寺、泉正寺、来岸寺、見性寺、名称不明の寺の5寺で学習を行った[4]。戦時中には梵鐘が供出された[3]

現代

歌舞伎役者の五代目坂東蓑助の母の生家は泉正寺である[5][6]。五代目坂東蓑助の養子として郷土史家の佐藤峻吉がおり、佐藤は1961年(昭和36年)から泉正寺の隣接地に暮らした。

境内

  • 本堂
  • 庫裏
  • 山門
  • 鐘楼
  • 手水舎

文化財

市指定文化財

所在地

所在地
アクセス

脚注

  1. ^ a b c d 刈谷市誌編さん委員会『刈谷市誌』刈谷市、1960年、p.746
  2. ^ 前田源吾『輸送に生きた五十五年 私の奉公袋』輸送経済新聞社、1984年、p.3
  3. ^ a b 『部門展 尾張の鋳物師』名古屋市博物館、1983年、p.49
  4. ^ 『刈谷風土記 続』刈谷郷土を学ぶ会、1990年、pp.206-216
  5. ^ 『写真集 明治大正昭和 知立』国書刊行会、1980年
  6. ^ 野村泰三『知立の文化財と史跡』知立市文化協会、1990年、pp.118-119
  7. ^ a b 刈谷市誌編さん委員会『刈谷市誌』刈谷市、1960年、p.766

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