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河相勲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 07:18 UTC 版)

河 相勲
各種表記
ハングル 하상훈
漢字 河相勳
発音: ハ・サンフン
日本語読み: か そうくん
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河 相勲(ハ・サンフン、朝鮮語: 하상훈/河相勳1891年7月23日 - 1964年10月3日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国独立運動家ジャーナリスト実業家政治家。初代仁川市議会議員・副議長[1]、南朝鮮過渡立法議院議員、参議員を歴任した[2]

本貫晋州河氏朝鮮語版[3]秋岡[4]

経歴

仁川出身。京城培材学堂英語専門修了、中央高等学校卒。1920年に東亜日報仁川支局長となり、1920年代には仁川物産客主組合副組合長を務めた。日本統治時代は以友倶楽部排日闘争委員会組織者、新幹会仁川支部長、新正会会長を歴任した。光復後は内外貿易会社社長、立法議院議員などを務め、1945年に韓民党仁川支部副委員長となり、1946年に仁川商工会議所会長に選ばれた。1948年に仁川市顧問会長、1952年に仁川市議会議員に当選し、副議長となった。民主国民党中央執行委員、民主党仁川乙区党委員長・中央委員・京畿道党顧問を務め、1960年の第5代総選挙で参議員に当選した[2][5][6]

1964年10月3日、仁川市花平洞の自宅で74歳で死去した[4]

脚注

  1. ^ 인천시 | 인천광역시의회 메인>의회소개>의회연혁” (朝鮮語). www.icouncil.go.kr. 2024年9月17日閲覧。
  2. ^ a b 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年9月17日閲覧。
  3. ^ (71)진주 하씨(晋州河氏)-121,054명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年9月12日). 2024年9月17日閲覧。
  4. ^ a b 秋岡河相勳翁別世(추강하상훈옹별세)”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1964年10月4日). 2024年9月17日閲覧。
  5. ^ 하상훈 - 디지털미추홀구문화대전”. michuhol.grandculture.net. 2024年9月17日閲覧。
  6. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年9月17日閲覧。



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