慈眼院 (文京区)とは? わかりやすく解説

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慈眼院 (文京区)

(沢蔵司稲荷 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/07 22:52 UTC 版)

慈眼院
所在地 東京都文京区小石川3-17-12
山号 無量山
院号 慈眼院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 不詳
正式名 無量山慈眼院
別称 澤蔵司稲荷
公式サイト 浄土宗|慈眼院「澤蔵司稲荷」(東京・小石川)公式ホームページ
法人番号 7010005000384
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慈眼院(じげんいん)は、東京都文京区にある浄土宗寺院

概要

創建年代は不明である。ただ1620年元和6年)、「沢蔵司稲荷」の別当寺に指定されていることから、その頃までには存在していたと推測される[1]

沢蔵司伝説

稲荷蕎麦「萬盛」

沢蔵司(たくぞうす)は、江戸時代初期に江戸に住んでいたという修学僧[2]

元和年間、浄土宗の教義を究めたいと「沢蔵司」と名乗る僧が伝通院に入門した。当時、伝通院は浄土宗の関東十八檀林の一つとされ、教学の根本道場として、多くの修学僧が学んでいた[1]

沢蔵司は忽ち頭角を現し、3年で教義を究めるまでになった。ある日、伝通院高僧の廓山・極山の両和尚の夢の中に沢蔵司が現れ、「自分は千代田城内の稲荷大明神であり、長年の望みだった浄土の奥義を究めることができた。これからは元の稲荷神に戻るが、伝通院の守護神となって恩に報いたい。」と告げ、姿を消したという。そういう経緯から、当院に稲荷神を祀ることになった[1][3]

沢蔵司は蕎麦が好物とされ、伝通院門前の蕎麦屋によく行っていた。2023年令和5年)現在も沢蔵司お気に入りの蕎麦屋(稲荷蕎麦「萬盛」)は営業を続けている[1]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d 沿革慈眼院
  2. ^ 江幡潤 著『文京区史跡散歩 (東京史跡ガイド5)』学生社、1992年、81-82p
  3. ^ 慈眼院(じげんいん)沢蔵司稲荷文京区役所

参考文献

  • 江幡潤 著『文京区史跡散歩 (東京史跡ガイド5)』学生社、1992年

関連項目

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