永田亀之助とは? わかりやすく解説

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永田亀之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/22 08:13 UTC 版)

永田 亀之助(ながた かめのすけ、1890年明治23年)7月30日 - 1967年昭和42年)12月22日)は、日本の政治家。元山形県議会議員、元上山市議会議長[1]

来歴・人物

  • 1890年(明治23年)7月30日、東村山郡作谷沢村大字細谷吉田仙之助の四男として生まれる。作谷沢尋常小学校卒、柏倉西部高等小学校4年卒業。山形県立山形中学校旧制中学校)に入学するも、病気のため中退。山形県立新庄中学校に入学し卒業。
  • 1912年大正元年)に東京歯科医学専門学校(現在の東京歯科大学)を卒業し、歯科医籍登録。
  • 1913年(大正2年)10月、上山市の永田亀治の長女と結婚し養子縁組。子は三男三女、長男は後の上山市長永田亀昭。同年、大日本帝国陸軍歩兵第三十二連隊に一年志願兵として入隊、陸軍少尉に任官、その後予備召集中尉に昇任。
  • 1925年(大正14年)から1947年(昭和22年)まで上山町会議員を務める。
  • 1931年(昭和6年)9月25日に山形県会議員選挙に当選、1935年(昭和10年)2月2日辞職。
  • 1932年(昭和7年)より上山小学校歯科医、1946年(昭和21年)にはに山形県歯科医師会長に選任。
  • 1935年(昭和10年)9月25日に山形県会議員に再選、1939年(昭和14年)9月に満期退任。
  • 1955年(昭和30年)に上山市議会議員に当選。1957年(昭和32年)に上山市議会議長に当選。
  • 1962年(昭和37年)9月に上山市長選挙に出馬するも、元上山町長の松本長兵衛と一騎打ちの末、落選する。(永田亀之助10,479票、松本長兵衛11,191票)
  • 1967年(昭和42年)12月22日に逝去、従五位勲四等を受章。
  • 1968年度(昭和43年度)、死後に上山市体育協会から顕彰賞(剣道)で表彰を受けた。 [2]

脚注

  1. ^ 『山形県議会歴代議員名鑑』山形印刷、1973年3月24日、64頁。 
  2. ^ 上山市スポーツ協会歴代表彰者”. 上山市スポーツ協会. 上山市スポーツ協会 (2025年8月22日). 2025年8月22日閲覧。



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