永井貞三とは? わかりやすく解説

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永井貞三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/04 17:44 UTC 版)

永井 貞三(ながい ていぞう[1]1901年3月[2] - 1944年10月24日)は、日本の海軍軍人。最終階級は少将[3]広島県出身。

経歴

広島県に生まれる。1920年旧制修道中学校(現:修道中学校・高等学校)を卒業[4]1923年7月14日、海軍兵学校51期を卒業し、1924年12月1日海軍少尉任官[1]。1924年少尉、1926年中尉、1929年大尉となり海軍砲術学校に入学。その後五十鈴木曽綾波鳥羽鈴谷神威などに乗艦[5]太平洋戦争勃発後の1943年中佐として軽巡洋艦鬼怒副長、1944年重巡洋艦摩耶副長に就任[6]。1944年5月~6月マリアナ沖海戦に参加。10月15日、大佐に昇進。10月23日レイテ沖海戦に参戦する。米潜水艦デイスの魚雷攻撃を受け摩耶は沈没。永井は駆逐艦秋霜に救助され、戦艦武蔵に移乗。しかし翌24日、武蔵は多数の米軍機による雷爆撃を受け、艦橋への命中弾で作戦室にいた永井は戦死した[7]。戦死により一階級特進し、海軍少将に昇進[3]

脚注

  1. ^ a b 『現役海軍士官名簿 昭和12年1月1日調』172頁。
  2. ^ 『現役海軍士官名簿 昭和12年1月1日調』172頁記載の年齢35歳9ヵ月から逆算。
  3. ^ a b 太平洋戦争研究会編著「日本海軍将官総覧」PHP研究所325頁
  4. ^ 修道学園中高同窓会名簿第36号57頁
  5. ^ 現役海軍士官名簿昭和4年~昭和12年
  6. ^ Naval Data Base「永井貞三」
  7. ^ 防衛省防衛研究所アジア歴史資料センター「昭和19年10月24日 軍艦武蔵戦闘詳報」。

参考文献

  • 『現役海軍士官名簿 昭和12年1月1日調』海軍省、1937年。
  • 太平洋戦争研究会編著『日本海軍将官総覧』PHP研究所、2010年

関連項目




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