水野信近とは? わかりやすく解説

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水野信近

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/05 04:07 UTC 版)

水野 信近(みずの のぶちか、大永5年(1525年) - 永禄3年(1560年6月)は、戦国時代武将水野氏刈谷城主。幼名は千代松、通称は十郎左衛門、藤四郎、藤九郎。水野忠政の三男。子に信政(元茂)[1]、信行、村瀬重治[2]室。


  1. ^ a b 寛政重修諸家譜
  2. ^ 織田信雄家臣で四千石。関ヶ原の戦いでは、水野勝成に協力して大垣城を攻める。大坂夏の陣では水野勝成の目付。のちに水戸徳川頼房の家老で一万石
  3. ^ 「東浦町誌」資料編3所収、岡部五郎兵衛宛の今川氏真書状(345項)および「松平記」巻2の記述。
  4. ^ 以前は、水野十郎左衛門は信元と同一人物と考える説があり、桶狭間のおり、信元は今川に内通していた、と推測する人もいた。


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