民主行動党 (ボスニア・ヘルツェゴビナ)とは? わかりやすく解説

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民主行動党 (ボスニア・ヘルツェゴビナ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/02 13:29 UTC 版)

ボスニア・ヘルツェゴビナ政党
民主行動党
Stranka Demokratske Akcije
Странка демократске акције
党首 バキル・イゼトベゴヴィッチ
成立年月日 1990年5月26日
本部所在地 サラエヴォ
代議院議席数
9 / 42   (21%)
(2022年10月2日)
政治的思想・立場 保守主義
民族主義ボシュニャク人
機関紙 Ljiljan
シンボル フルール・ド・リス
国際組織 国際民主同盟
欧州人民党
公式サイト SDA
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民主行動党(みんしゅこうどうとう)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ政党機関紙Ljiljanを発行する。

党名

概要

ボスニア・ヘルツェゴビナの政党はボシュニャク人セルビア人クロアチア人、および多民族間にまたがる政党の4勢力に分かれるが、民主行動党はボシュニャク人の権益を代表する。

党史

1990年ユーゴスラビア内のスラヴムスリムボシュニャク人)の権益を代表する民族主義政党として、アリヤ・イゼトベゴビッチ、ムハメド・フィリポビッチ、スレイマン・ティヒッチ、フィクレト・アブディッチらにより設立された。これは1990年のユーゴスラビア共産主義者同盟による一党独裁崩壊を受けたもので、ボシュニャク人の民族主義政党としては、1945年複数政党制廃止以来初めての設立であった。

共産主義政権の崩壊とボスニア・ヘルツェゴビナの独立以来、ボシュニャク人政党としては最も大きく成功した政党であり、現在ではボシュニャク人最大勢力をほこる。その勢力はボスニア・ヘルツェゴビナ内にとどまらず、クロアチアセルビア内のボシュニャク人にも影響を与えている。

2010年にはSDA党員のバキル・イゼトベゴヴィッチが、ボシュニャク人代表枠で大統領評議会入りした。バキルは、SDA初代党首とボスニア・ヘルツェゴビナ初代大統領を務めたアリヤ・イゼトベゴヴィッチの長男であり、これに先立って2006年にはSDA所属の国会議員に選出され、政界入りしていた。

姉妹政党

党は、ボスニア・ヘルツェゴビナ国外のボシュニャク人の権益を代表する姉妹政党を有している。

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