武田信玄に対する忠義・敬愛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 00:32 UTC 版)
「真田昌幸」の記事における「武田信玄に対する忠義・敬愛」の解説
昌幸は最初の主君である武田信玄を生涯において敬愛し、絶対の忠誠を誓っていた。天正13年(1585年)12月に昌幸は信玄の墓所を自領である真田郷内に再興しようとした。また『真武内伝』によると昌幸は信玄に幼少期から仕え、信玄全盛期の軍略や外交を見て模範にしていたとされる。同書によると、秀吉と昌幸が碁を打っていた際、秀吉が「信玄は身構えばかりする人だった」と評した。それに対して昌幸は「信玄公は敵を攻めて多くの城を取ったが、合戦に手を取る事なくして勝ちを取ったもので、敵に押しつけをした事は一度もない」と答えたと伝わる。
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