樺山久舒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 14:08 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動樺山 久舒(かばやま ひさのぶ、1832年(天保3年) - 1912年(明治45年)3月14日[1])は、江戸時代末期の武士。父は樺山雅楽。通称は舎人、岩記。
佐土原藩の家老として活躍した。1853年に出仕、1年後、藩政改革で成果を出したことが評価されて家老に抜擢された。薩英戦争の折は英国との交渉を請け負い、戊辰戦争では藩兵を率いて東海道を登った。明治維新後は新政府の元検事や警部をつとめた。1869年には佐土原藩権大参事に就任している。1912年没。
墓所は広尾の東北寺。正面遊川家の墓で、墓誌に名が刻まれている。
脚注
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.41
参考書籍
- 田口素生「島津一族」(新紀元社)234,235ページ
- 樺山久舒のページへのリンク