森岡為治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/31 13:39 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 明応15年(1500年)10月 |
死没 | 天文10年6月9日(1541年7月2日) |
別名 | 次丸、十郎左衛門、山城守、源三郎 |
主君 | 大浦政信 |
氏族 | 称・藤原氏津軽氏支流森岡氏 |
父母 | 父:大浦盛信 |
子 | 信治 |
森岡 為治(もりおか ためはる)は、戦国時代の武将。津軽氏の家臣。
大浦氏一門の家老として3000石を領した。天文10年(1541年)6月9日、主君・大浦政信に従い、和徳城攻めに参加した。その際、岩木川畔の三味線河原で戦いとなり、和徳城主・小山内満春が討ち取られたが、満春の子・永春が加勢すると戦況は逆転し、大浦政信と共に討ち死にした。
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