森岡元徳とは? わかりやすく解説

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森岡元徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/05 07:48 UTC 版)

 
森岡 元徳
時代 江戸時代中期
生誕 享保20年(1735年
死没 天明5年4月24日1785年6月1日
別名 金吾、主膳
墓所 梅林寺(弘前市
氏族 称・藤姓津軽氏支流森岡氏
父母 父:森岡元隆
兄弟 元生元徳
元侯

森岡 元徳(もりおか もとのり)は、江戸時代中期の弘前藩士。

生涯

享保20年(1735年)、森岡元隆の次男として生まれる。宝暦元年(1751年)4月に兄元生が死去、家督と寄合格1000石を継いだ。

同2年(1752年)大組武頭、同4年(1754年)表書院大番頭となり、同7年(1757年)参政となる。同9年(1759年)、祖先森岡信元の所持品「来金道の脇差」を信元が殺害された久渡寺に寄贈し、通称を信元と同じ金吾に改名した。

明和8年(1771年)に家老となるも、飢饉の連続に対して庶民の救済をせず、藩主に虚偽の報告をして特定商人と結び、贅沢にふけっていた。そして天明4年(1784年)、家老を免職となり、知行を300石に減らされ、蟄居させられた。翌年(1785年)、罪を詫び、自宅の物置で自害した。

現在、久渡寺の現存する丸山応挙幽霊画は、元徳の娘、もしくは京都で死亡した元徳の愛妾を描いたものであるといわれている。

参考文献

  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社



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