梅澤博臣
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梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ、1924年9月20日 - 1995年3月25日[1])は、日本の理論物理学者。学位は、理学博士。アルバータ大学(カナダ)名誉教授。坂田昌一の弟子の一人で、場の量子論で世界的に著名[1]。
兄弟に、梅澤純夫(有機合成化学、抗生物質研究)、梅澤濱夫(抗生物質カナマイシン発見)、梅澤邦臣(科学技術事務次官)がいる[2]。
来歴・人物
北海道札幌市に生まれる[3]。出身は東京都[1]。開成中学(東京)卒業後、旧制武蔵高校を経て名古屋帝国大学工学部電気工学科に入学[1]。大学3年生の時から、理学部の坂田昌一のところに出入りするようになり、物理学の研究者となった[1]。1947年に大学を卒業し[1]、引き続き大学院に進学し、1952年に博士課程を修了して理学博士号を取得した(学位論文「素粒子の相互作用の構造について」 )。
マンチェスター大学客員研究員(1953年)を経て、1955年に東京大学教官となる[1]。1960年に教授に就任した。1963年にナポリ大学、1966年にウィスコンシン大学、1975年にアルバータ大学で、それぞれ教授となる[1][注釈 1]。1992年にアルバータ大学の名誉教授となる。
「種々の荷電場が、適当な関係で共存するならば光子の自己エネルギーは、不定性なく零となる」ということを示し、著名となる[1]。1953年刊行の『素粒子論』は日本初の場の量子論の専門書で、改訂英訳版は海外でも教科書として用いられた[1]。
1968年にノーベル物理学賞、1973年にノーベル化学賞のノミネートを受けたことが、ノーベル財団の公表したノミネートリストにより明らかになっている[4]。
著書(共著含む)
- 1953年 素粒子論
- 1959年 大学演習 量子力学
- 1963年 素粒子論の話題
- 1995年 場の量子論 ミクロ、マクロ、そして熱物理学の最前線
- 2005年 量子力学―変換理論と散乱理論
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k 産経新聞、1995年4月18日社会面
- ^ 自警 38(8) 雑誌 警視庁警務部教養課 編 (自警会, 1956-08)
- ^ 亀淵迪、江沢洋「梅沢博臣博士をおもう」『日本物理学会誌』第50巻第7号、一般社団法人日本物理学会、1995年7月、576頁。
- ^ Hiroomi Umezawa - Nomination archive(英語、ノーベル財団)
外部リンク
- 坂田学派と素粒子模型の進展[リンク切れ]
- 亀淵迪、江沢洋「梅沢博臣博士をおもう」『日本物理學會誌』第50巻第7号、1995年7月5日、NAID 110002066457。
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