荒角金太郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 荒角金太郎の意味・解説 

荒角金太郎

(桐山金太郎 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/17 16:40 UTC 版)

荒角 金太郎(あらかど きんたろう、生年不明 - 1882年明治15年)9月21日)は、相模国大住郡(現在の神奈川県厚木市[1] 出身で桐山部屋に所属した力士。本名は諸星 金太郎(後に二枚鑑札となった時に、桐山と改姓)。身長・体重は不明。最高位は西前頭3枚目。

経歴

荒井嵜繁藏(8代桐山)の養子として、1865年11月場所で初土俵(序ノ口)を踏む[1]。1874年3月場所に西十両7枚目(十枚目格)に昇進。その後、十両で長く燻っていたが1879年6月場所に新入幕を果たした。その場所は東前頭8枚目で6勝1敗1休2預の優勝同点[1][2] の好成績を挙げた。餅肌の美男で人気が高かったと伝わる。1882年1月場所に9代桐山となり、二枚鑑札となった。この頃から体調を崩すようになり、同年6月場所を全休[1]、そして9月21日、新潟県での巡業中に急死した[3]。この年の秋巡業では、2日前の9月19日にも盛岡荒虎敬之助(6代若藤)が急死しているだけに、相次ぐ現役力士の死去に角界には衝撃が走ったと伝わる。

主な成績

  • 幕内成績:16勝16敗11分5預22休 勝率.500
  • 幕内在位:7場所

改名歴

  • 昇山
  • 荒角 金太郎(あらかど きんたろう)1874年3月場所 - 1881年5月場所
  • 桐山 金太郎(きりやま きんたろう)1882年1月場所 - 1882年6月場所

[1]

出典

  1. ^ a b c d e http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3458&l=j
  2. ^ 若嶌久三郎(当時西関脇。後に大関に昇進)が6勝0敗1休2分1預で優勝相当成績。他に阿武松和助(後の雷電震右エ門。当時東小結で、大関に昇進した)が6勝1敗2休1預の優勝同点だった。
  3. ^ 『古今大相撲事典』。ISBN 978-4336018786 

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「荒角金太郎」の関連用語

荒角金太郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



荒角金太郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの荒角金太郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS