桃井直之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/14 18:31 UTC 版)
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桃井 直之(もものい ただゆき)は南北朝時代の武将。清和源氏 足利氏流。越中国射水郡浅井城主。官位は右馬頭。桃井尚儀の長男。別名、戸田御所。
生涯
応永23年(1416年)の家臣の反乱(桃井騒動)に際し病没した、殺害された、武州戸田の地に遁走したなどの逸話が残り、生涯については不明な点が多い。 本門佛立宗では、浄土真宗本願寺派光明寺住職を務めたと伝わる。
逸話
松山充宏は、入滅後に日隆がこの地に埋葬された事実から、直之以降も桃井氏が浅井郷を知行していた可能性を指摘している。
木下聡は、その後も幕府番帳に桃井右馬頭の名が見られる点を指摘している。
また、松山充宏は、越中桃井氏と上杉氏被官桃井右馬助との関係を指摘している。 武州足立郡上戸田の地に桃井直和の菩提瑞光山海禅寺があり、同地には戸田城、百の井屋敷など桃井氏関連の史跡が残るが、小西徹龍は、同地の桃井氏は 直和末裔であったとしており、直之との関係についてはわかり難い。
参考文献
- 松山充宏『桃井直常とその一族 鬼神の如き堅忍不抜の勇将(中世武士選書49巻)』(2023)
- 本門佛立宗『日隆聖人物語第9回』(2012)
- 木下聡『室町幕府外様衆の基礎的研究』(2011)
- 小西徹龍『日隆聖人出自考』興隆学林紀要第4号
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