柿本市守
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 18:09 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動柿本 市守(かきのもと の いちもり)は、奈良時代の貴族。従四位下・柿本猨の孫で、従五位下・柿本建石の子とする系図がある。官位は従五位上・主計頭。
経歴
聖武朝末の天平20年(748年)従五位下に叙爵し、翌天平感宝元年(749年)丹後守に任ぜられると、孝謙朝末の天平勝宝9歳(757年)安芸守と聖武朝から孝謙朝にかけて地方官を歴任する。
淳仁朝の天平宝字5年(761年)主計頭として京官に遷り、天平宝字8年(764年)従五位上に至る。
官歴
『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平20年(748年) 2月19日:従五位下
- 天平感宝元年(749年) 閏5月1日:丹後守
- 天平勝宝9歳(757年) 6月16日:安芸守
- 天平宝字5年(761年) 10月1日:主計頭
- 天平宝字8年(764年) 正月7日:従五位上
系譜
脚注
参考文献
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