東福寺 (草加市)とは? わかりやすく解説

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東福寺 (草加市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/22 20:10 UTC 版)

東福寺
所在地 埼玉県草加市神明1-3-43
位置 北緯35度50分01.0秒 東経139度48分17.9秒 / 北緯35.833611度 東経139.804972度 / 35.833611; 139.804972座標: 北緯35度50分01.0秒 東経139度48分17.9秒 / 北緯35.833611度 東経139.804972度 / 35.833611; 139.804972
山号 松寿山[1]
院号 不動院[1]
宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来
創建年 慶長11年(1606年
開山 賢宥法印
開基 大川図書
文化財 東福寺鐘楼、十三仏板碑、東福寺本堂内外陣境彫刻欄間、東福寺山門(以上、草加市指定有形文化財)
法人番号 2030005005618
東福寺
東福寺 (埼玉県)
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東福寺(とうふくじ)は、埼玉県草加市にある真言宗智山派寺院。草加八景の一つになっている[1]

歴史

1606年慶長11年)に大川図書が創建、僧・賢宥が開山したという[1]。図書は当時湿地帯だった当地になどを刈って束にし、それを湿地に埋めることで道を作った。江戸幕府第2代将軍徳川秀忠鷹狩で立ち寄り、この道は草のおかげであるから、この地域を「草加」と命名した。これが「草加」という地名の由来となったという。その後、図書は草加宿の建設に着手、草加宿の住人の菩提寺として創建したのが当寺の起源である[2]

大川図書は草加宿建設の功により、苗字帯刀が許され、子々孫々草加宿の要職に就く権利が与えられた。墓地には、図書を始めとする大川一族の墓がある。他にも落語家の石井宗叔の墓もある[2]

本堂は1824年(文政7年)に再建された建物で、1899年(明治32年)に藁葺を瓦葺とし、1993年(平成5年)年に大規模な改修が行われた[1]

また、鐘楼は1862年(文久2年)造立の刻銘がある基壇の上に建てられている[1]

文化財

  • 東福寺鐘楼(草加市指定有形文化財 昭和55年3月22日指定)[3]
  • 十三仏板碑(草加市指定有形文化財 昭和55年3月22日指定)[4]
  • 東福寺本堂内外陣境彫刻欄間(草加市指定有形文化財 昭和57年2月22日指定)[5]
  • 東福寺山門(草加市指定有形文化財 昭和57年2月22日指定)[6]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d e f そうか事典(と)”. 草加市. pp. 84-85. 2024年1月22日閲覧。
  2. ^ a b 今井規雄 著『東福寺≪草加≫(さきたま文庫32)』さきたま出版会、1991年、4-32p
  3. ^ 東福寺鐘楼草加市
  4. ^ 十三仏板碑草加市
  5. ^ 東福寺本堂内外陣境彫刻欄間草加市
  6. ^ 東福寺山門草加市

参考文献

  • 今井規雄 著『東福寺≪草加≫(さきたま文庫32)』さきたま出版会、1991年



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