東大田村とは? わかりやすく解説

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東大田村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/04 08:59 UTC 版)

ひがしおおたむら
東大田村
廃止日 1955年1月10日
廃止理由 新設合併
大見村西大田村東大田村世羅町
現在の自治体 世羅町
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
世羅郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,618
国勢調査、1950年)
隣接自治体 西大田村、大見村、東村甲山町御調郡久井町
東大田村役場
所在地 広島県世羅郡東大田村大字本郷
座標 北緯34度35分18秒 東経133度02分47秒 / 北緯34.58828度 東経133.04639度 / 34.58828; 133.04639座標: 北緯34度35分18秒 東経133度02分47秒 / 北緯34.58828度 東経133.04639度 / 34.58828; 133.04639
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東大田村(ひがしおおたむら[1][2])は、広島県世羅郡にあった。現在の世羅郡世羅町の一部にあたる。

地理

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、世羅郡本郷村、井折村、寺町村、三郎丸村、青山村、東神崎村、西神崎村が合併して村制施行し、東大田村が発足[1][2]
  • 1890年(明治23年)甲山警察署(現世羅警察署)東大田巡査駐在所開設[2]
  • 1911年(明治44年)東大田産業組合設立[2]
  • 1920年(大正9年)器械製糸場設置[2]
  • 1955年(昭和30年)1月10日、世羅郡大見村、西大田村と合併し、町制施行し世羅町を新設して廃止された[1][2]

地名の由来

中世大田荘の東方に位置することから[2]

産業

  • 農業、養蚕[2]

教育

  • 1908年(明治41年)大字本郷に大田尋常小学校校舎新築[2]。1920年(大正9年)東大田村農業補習学校併置[2]。1926年(大正15年)東大田村青年訓練所設置[2]。1928年(昭和3年)農業補習学校内に女子部を設置[2]
  • 1923年(大正12年)大字本郷に世羅郡内1町12村学校組合立世羅中学校(現広島県立世羅高等学校)開校[2]
  • 1947年(昭和22年)大田中学校開校[2]

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』645頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『角川日本地名大辞典 34 広島県』606-607頁。

参考文献

関連項目




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