大見村_(広島県)とは? わかりやすく解説

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大見村 (広島県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 05:51 UTC 版)

おおみむら
大見村
廃止日 1955年1月10日
廃止理由 新設合併
大見村西大田村東大田村世羅町
現在の自治体 世羅町、三次市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
世羅郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,176
国勢調査、1950年)
隣接自治体 広定村東村、東大田村、西大田村、津久志村双三郡吉舎町
大見村役場
所在地 広島県世羅郡大見村大字安田
座標 北緯34度38分47秒 東経133度00分07秒 / 北緯34.64642度 東経133.00189度 / 34.64642; 133.00189 (大見村)座標: 北緯34度38分47秒 東経133度00分07秒 / 北緯34.64642度 東経133.00189度 / 34.64642; 133.00189 (大見村)
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大見村(おおみむら[1][2])は、広島県世羅郡にあった。現在の世羅郡世羅町三次市の一部にあたる。

地理

  • 河川:戸張川、黒淵川[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、世羅郡安田村、戸張村、徳市村が合併して村制施行し、大見村が発足[1][2]。旧村名を継承した安田、戸張、徳市の3大字を編成[2]
  • 1920年(大正9年)射撃訓練用の射撃場を設置[2]
  • 1924年(大正13年)備後世羅畳表組合大見村支部結成[2]
  • 1955年(昭和30年)1月10日、世羅郡大見村、西大田村、東大田村と合併し、町制施行し世羅町を新設して廃止された[1][2]
  • 1957年(昭和32年)1月10日、世羅町大字徳市の一部と大字戸張の一部が双三郡吉舎町に編入[3]

地名の由来

地内にまたがる山岳名による[2]

産業

  • 農業、養蚕、畳表[2]

教育

  • 1909年(明治42年)大見尋常高等小学校、新築移転[2]。1919年(大正8年)大見村農業補習学校を併置[2]。1926年(大正15年)大見村青年訓練所を併置[2]。1933年(昭和8年)講堂兼雨天体操場落成[2]

脚注

  1. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』143頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『角川日本地名大辞典 34 広島県』191頁。
  3. ^ 「世羅町〈御調町〉」『角川日本地名大辞典 34 広島県』472頁。

参考文献

関連項目




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