津久志村とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 津久志村の意味・解説 

津久志村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 06:17 UTC 版)

つくしむら
津久志村
廃止日 1956年1月15日
廃止理由 編入合併
津久志村世羅町
現在の自治体 世羅郡世羅町
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
世羅郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,646
国勢調査、1955年)
隣接自治体 世羅町、世羅西町双三郡吉舎町賀茂郡大和町
津久志村役場
所在地 広島県世羅郡津久志村大字津口
座標 北緯34度36分26秒 東経132度57分24秒 / 北緯34.60722度 東経132.95678度 / 34.60722; 132.95678座標: 北緯34度36分26秒 東経132度57分24秒 / 北緯34.60722度 東経132.95678度 / 34.60722; 132.95678
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

津久志村(つくしむら[1][2])は、広島県世羅郡にあった。現在の世羅郡世羅町の一部にあたる。

地理

  • 河川:黒淵川、津口川[2]

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、世羅郡黒淵村、山中福田村、津口村が合併して村制施行し、津久志村が発足[1][2]。旧村名を継承した黒淵、山中福田、津口の3大字を編成[2]
  • 1890年(明治23年)甲山警察署(現世羅警察署)津久志巡査駐在所開設[2]。1902年(明治35年)津久志巡査部長派出所開設[2]
  • 1908年(明治41年)津久志村産業組合設立[2]
  • 1925年(大正14年)養蚕組合設立[2]
  • 1955年(昭和30年)3月31日、大字山中福田が世羅郡小国村津名村(一部、大字上津田・下津田・長田)、吉川村(一部、大字中・黒川と吉原の一部)と合併し、町制施行して世羅西町を新設[1][2]。黒淵、津口の2大字となる[2]
  • 1956年(昭和33年)1月15日、世羅郡世羅町に編入され廃止[1][2]

地名の由来

古来、当地方を津久志と称していたとの口碑による[2]

産業

  • 農業、養蚕[2]

教育

  • 1891年(明治37年)津久志尋常高等小学校開校[2]。1909年(明治42年)校舎新築[2]。1920年(大正9年)津久志農業補習学校併設[2]

脚注

  1. ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』490頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『角川日本地名大辞典 34 広島県』525頁。

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  津久志村のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「津久志村」の関連用語

津久志村のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



津久志村のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの津久志村 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS