東亞児童大会とは? わかりやすく解説

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東亜児童大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/17 10:12 UTC 版)

東亜児童大会、1941年2月1日、日比谷公会堂

東亜児童大会(とうあじどうたいかい、旧字体東亞兒童大會)は、大日本帝国政府情報局東京市が共同主催し、1941年2月1日東京府(現・東京都)の日比谷公会堂にて挙行された児童による交流会[1]

概要

大日本帝国を始め、満州国支那蒙古の俗にいう「大東亜共栄圏諸国」児童約2,800人を招待し、東亜共栄圏の児童による合唱、芝居を楽しむというもので、最後に児童の代表が音頭をとり「天皇陛下万歳」を参加者全員で三唱した。

当時の『写真週報』によると、詳細は以下のとおり[1]

映像資料

脚注

  1. ^ a b 「東亜・東亜の子供よ 僕たちは 東京日比谷」”. 写真週報155号. 情報局 (1941年2月12日). 2025年5月17日閲覧。



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