村山久良女とは? わかりやすく解説

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村山久良女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/29 15:25 UTC 版)

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村山 久良女
誕生 慶応2年(1866年
越後国刈羽郡岡野町村(現・新潟県柏崎市
死没 明治21年(1888年)1月3日
職業 俳人
ジャンル 俳句
代表作 『久良女発句集』
ウィキポータル 文学
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村山 久良女(むらやま くらじょ)は、明治時代の俳人。倉女、久良とも。「北越の生んだ千代女」とも[1]、また採花女(さいかじょ)とともに「明治奮派の二才女」と称された[2]。没後に『久良女発句集』が編まれている。

略歴

慶応2年(1866年)、越後国刈羽郡岡野町村(現・新潟県柏崎市)の素封家・村山家に生まれる。同家は代々文芸に通じ、久良女の祖父・9代藤右衛門(号:哲斎、俳号:章嶂、亀石)、父・吉次(号:抱月)もまた俳諧をよくした。なお、『平家詩史』を著した11代亀一郎(号:亀齢)は久良女の弟に当たる[3]

養志軒桑古が『久良女発句集』に寄せた跋によれば、久良女は幼少期から茶と俳諧をたしなみ、その天賦の才は「其器、一を聞て万を知るの才有り」と称されたという[4]。明治14年(1881年)、名古屋の羽洲園に入門する。後に上京し、小築庵春湖に師事した。明治17年(1884年)に帰郷し、翌年分家の某と縁組する。家政の合間に句作に励んだが、明治21年(1888年)1月3日に病没した。享年23才。

『久良女発句集』には、勝海舟が追悼句を寄せている。

作品

  • 『久良女発句集』(村山久良/著 翠浦堂真海/編 勝海舟/題句 松浦羽州女 養志軒桑古/跋)
    • 黒姫の裾から染めて初もみぢ
    • 冬籠さながら隙もなく過ぎぬ
    • 水まさる宵のおもひやあまの川
    • 飛違ふ鳥にも見ゆるさむさかな

脚注

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  1. ^ 伊狩章『越佐文学散歩 下巻 上越編』野島出版、1975年、44頁。
  2. ^ 女子学習院『女流著作解題』日本図書センター、1978年、320頁。
  3. ^ 牧田利平『越佐人物誌名家系譜』野島出版、1986年、193-194頁。
  4. ^ 今泉省三『越佐叢書 第7巻』越佐叢書刊行会、1936年。

参考文献

  • 温古の栞』19篇(温古談話会 1891年8月) 「偉人の傳」内 p217-218
  • 『越佐人名辞書』(村島靖雄/編 越佐人名辞書刊行会 1939) p626
  • 『越佐人物誌』中巻(牧田利平/編 野島出版 1972) p955
  • 『明治俳諧史話』(勝峯晋風/著 大誠堂 1934) 「モダン乙彦と才媛久良女」内 p453-457
  • 『日本女性人名辞典』(日本図書センター 1993) p1030
  • 『類聚伝記大日本史』第15巻 女性篇(高柳光寿/編集解説 雄山閣出版 1981) p323

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