村上清 (新選組)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 村上清 (新選組)の意味・解説 

村上清 (新選組)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/13 14:20 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search

村上 清(むらかみ きよし、? - 慶応4年1月7日1868年1月31日))は、幕末武士新撰組平士、伍長、諸士調役。名は清士とも記録されており、読みは同じである[1]

概要

村上清は肥後熊本藩の出身で、元治元年(1865年)4月頃に京都で新撰組に入隊した[1]。慶応元年(1865年)5月、新撰組序列148人中37位で、5番伍長に任命されていた(『山崎丞名簿』)。慶応3年(1867年)6月に新撰組が幕臣に取り立てられた際には諸士調役に昇格した[1]

慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いでは幕府軍に参加し、重傷を負う。ために1月7日に大坂へ退き、まもなく同城内で死亡した(『元新撰組連名』)。別の記録によると、重傷を負って大坂城内に担ぎ込まれたが、その際に城外で発生した火事が城に燃え移り、それを官軍が来襲して城に火を放ったと誤認した城内は大混乱になり、村上は味方の足手まといになる事を恐れて自刃する新撰組の仲間に続いて自刃した(『会津戊辰戦史』)。

脚注

[ヘルプ]
  1. ^ a b c 相川、2011年、p.289

参考文献





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「村上清 (新選組)」の関連用語

村上清 (新選組)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



村上清 (新選組)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの村上清 (新選組) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS