李王家
(李隅公 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/23 09:20 UTC 版)
李王家(りおうけ、이왕가、イワンガ)は、李成桂(太祖)が1392年に朝鮮王位に就いたのに始まり、以降518年にわたり李氏朝鮮王家、大韓帝国皇帝家として続いた家。1910年の韓国併合でその地位を失い、日本の王公族に転じて皇族に準じる待遇を受けた。第二次世界大戦後の日本国憲法施行に伴ってその身分を失い(身位喪失)、サンフランシスコ平和条約発効後は日本国籍からも離脱した。
- ^ 武田幸男 2000, p. 165.
- ^ a b 高木理 2011, p. 53.
- ^ a b 高木理 2011, p. 54.
- ^ 三宅光一 2014, p. 30.
- ^ “李成桂の家系はモンゴル軍閥”. 朝鮮日報. (2009年10月4日)
- ^ a b "李成桂". 日本大百科全書(ニッポニカ)、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ 西川孝雄 2009, p. 2.
- ^ 西川孝雄 2009, p. 7.
- ^ 武田幸男 2000, p. 166.
- ^ a b c d e f g h i "李氏朝鮮". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ 武田幸男 2000, p. 175-176.
- ^ 武田幸男 2000, p. 171.
- ^ "世宗[朝鮮王朝]". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ 武田幸男 2000, p. 194.
- ^ 武田幸男 2000, p. 198-200.
- ^ "正祖". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ 武田幸男 2000, p. 212.
- ^ 武田幸男 2000, p. 211-212.
- ^ "ハーグ密使事件". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2022年11月27日閲覧。
- ^ "李朝". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2022年11月16日閲覧。
- ^ a b 百瀬孝 1990, p. 240.
- ^ a b c d 百瀬孝 1990, p. 241.
- ^ a b 新城道彦 2011, p. 376.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 89-90.
- ^ a b 百瀬孝 1990, p. 240-241.
- ^ 施工時の李王家東京赤坂邸
- ^ a b 社団法人・同盟通信社『時事年鑑・昭和14年版』1938年(昭和13年),58頁より
- ^ 百瀬孝 1990, p. 243.
- ^ a b c d "李方子". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2022年12月2日閲覧。
- ^ a b c 小田部雄次 2006, p. 182.
- ^ a b c 小田部雄次 2006, p. 181.
- ^ a b 小田部雄次 2006, p. 180.
- ^ “역대 총재”. 2020年6月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年6月18日閲覧。
- 李隅公のページへのリンク