李鎮洙_(1900年生)とは? わかりやすく解説

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李鎮洙 (1900年生)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/15 16:02 UTC 版)

李 鎮洙(イ・ジンス、朝鮮語: 이진수/李鎭洙1900年8月7日 - 1968年12月9日または12月10日[1])は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国計理士弁理士教育者政治家実業家。朝鮮弁理士会(現・大韓弁理士会)会長、制憲・第2代韓国国会議員[2]本貫徳山李氏朝鮮語版[1]

経歴

咸鏡南道利原郡出身。北青公立普通学校、京城オソン中学校、日本大学専門部工科専修科、同大商科経済学科卒。京都帝国大学(現・京都大学)経済学・社会学修了。世和堂製薬株式会社代表取締役、世和産業・世和商事・世和土建株式会社代表取締役、朝鮮弁理士会(現・大韓弁理士会)会長、韓国民族代表者大会代議員、総選挙対策委員会委員、財団法人世和学院理事長、ソウル薬学大学理事長、朝鮮雄弁会副会長、国会文教厚生・産業労働分科委員、独立政治経済問題研究所代表者、李儁先生記念事業協会理事、大韓労農党党員、大韓国民党党員、大韓労総委員長、自由党幹部、東洋水産株式会社代表、咸南人会総務部長を務めた。1962年に最高会議の政治浄化委員会に公民権制限法の審査を提出したことがあり、1963年に民主共和党に入党した。1968年12月10日、自宅で死去[1][2][3]

脚注

  1. ^ a b c 김영선, “이진수 (李鎭洙)” (朝鮮語), 韓国民族文化大百科事典 (韓国学中央研究院), https://encykorea.aks.ac.kr/Article/E0074786 2025年4月15日閲覧。 
  2. ^ a b 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年4月15日閲覧。
  3. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年4月15日閲覧。



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