杉田馨子
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杉田 馨子(すぎた けいこ、1908年(明治41年)3月29日[1] – 1992年(平成4年)[2]12月23日[3])は日本の政治家、衆議院議員(1期)。
来歴
東京市麻布区(現・東京都港区)に生まれる[4][注 1]。1930年日本女子大学高等学部英文科卒[5]。萬朝報の記者だった杉田省吾と結婚[5][6]。その後は北京中央広播電台放送科に勤務する[5]。1946年の第22回衆議院議員総選挙に茨城県から公職追放により立候補不可となった夫に代わって日本自由党公認で立候補して当選した[7]。同年暮れに夫が死去した[8]。
翌年の総選挙で茨城3区から立候補したが落選。落選後の1948年、政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された[9]。その後は易学に凝ったり、群馬県の四万温泉で旅館を経営し[5]、晩年は老人ホームで余生を過ごした。1992年死去。
脚注
注釈
- ^ 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』328頁では「茨城県出身」。
出典
参考文献
- 『第九十回帝國議會 衆議院議員名簿』衆議院公報附録、1946年11月。
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
- 岩尾光代著『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』(日本放送出版協会、1999年)ISBN 4140804394
- 茨城新聞編集局編『20世紀茨城の群像』茨城新聞社、1999年。
- 『茨城歴史人物小事典』茨城新聞社、2017年。
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