木藤裕次とは? わかりやすく解説

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木藤裕次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 03:45 UTC 版)

木藤 裕次
プロフィール
リングネーム 木藤 裕次
木藤 拓也
木藤 勝利
デッドボール木藤
YUJI KITO
本名 木藤 裕次
ニックネーム 鶯谷の帝王
身長 177cm
体重 92kg
誕生日 (1976-05-02) 1976年5月2日(48歳)
出身地 愛知県小牧市
所属 フリー
デビュー 1997年3月10日
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木藤 裕次(きとう ゆうじ、1976年5月2日 - )は、日本男性プロレスラー愛知県小牧市出身。

来歴

愛知県立小牧高校を卒業後、JWA東海プロレスでアマチュアデビュー。その後IWA・JAPANに入門し、1997年3月10日、千葉・館山市民センターでの佐藤孝至戦でプロデビュー。

2000年にはアメリカ遠征を決行し、BZWヘビー級王座を奪取する。

帰国後はヒールに転じ、「ブレーキの壊れた原付[1]」の異名を取り、タイガー・ジェット・シンと暴れまわる。2002年、シンと決別してIWA正規軍復帰。

2005年、IWAを退団。

2006年11月、BRAVES旗揚げに参加。リングネームをYUJI KITOとしてHIRO KONDOと「アロマナックルズ」を結成。

2007年、フリーに転向し、地元のDEPなどインディ団体を転戦する。

2011年1月29日、SMASHワールドトライアウトに出場。以降SMASHにレギュラー参戦。なお、SMASHには当初本名で参戦していたが、矢郷良明より改名を勧められ、6月20日より木藤 勝利(きとう かつとし)と改める[2]。だが、改名後初の試合で奮わず木藤 拓也に再改名した[3]。なお、SMASH以外のインディ団体では引き続きYUJI KITOを使用している。

2012年のSMASH解散後、TAJIRIよりWrestling New Classic入団の誘いを受けるが参戦はするも所属契約は拒否し、自主興行「クズプロ」を6月2日に新木場1stRINGで旗揚げすると発表した[4]。クズプロ旗揚げ後はリングネームを木藤拓也に統一した。

2014年6月を最後に主戦場のWNCが活動停止。7月17日のWNC-REINA新木場大会よりリングネームを本名に戻す[5]。その後はREINA及びガンバレ☆プロレスを中心に活動。

2015年4月、ASUKA PROJECTへの所属が発表された[6]。またVKFで結成されたIWA連合軍ではデッドボール木藤のリングネームで戦う[7]

2019年3月18日、所属していたASUKA PROJECTが後楽園ホール大会をもって解散。以後フリーとして活動。

得意技

  • バルス - ボディスラムの要領で抱えあげたのち、相手の態勢をサイドに入れ替えマットに叩きつける技。
  • スプラッシュ
  • ヘッドロック
  • フィッシャーマンバスター
  • IWAスペシャル

タイトル歴

リングネーム

  • 木藤 裕次(本名。デビュー当時と現在)
  • YUJI KITO(BRAVESなど)
  • 木藤 勝利(一時期SMASHで使用)
  • 木藤 拓也(SMASH→WNC時代)
  • 木藤 静香(WNCで稀に使用)
  • デッドボール木藤

脚注

関連項目

外部リンク




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