木田勇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/30 01:14 UTC 版)
木田 勇(きだ いさむ、1954年6月7日 - )は、神奈川県横浜市旭区[1]出身の元プロ野球選手(投手)・監督。左投左打。
注釈
- ^ 『広島アスリートマガジン』に連載された元スカウトの木庭教の記事には、「当初入団には前向きだったが、ある宗教団体との関係から入団が困難になった」との記述があった。参考までに、木田は創価学会の機関紙である聖教新聞2009年12月18日号で創価学会員として紹介されていることから、宗教法人創価学会の会員であることが確認されており、また、同記事によれば社会人野球時代には既に創価学会に入会していたことが書かれてあるので、広島入団交渉時に障壁となった宗教は創価学会の事を指していると考えられるが、これは広島ファンの噂や憶測の域を出ない。
- ^ 「一年後のドラフト前に広島のスカウトさんから連絡があって“何で指名したんですか”と尋ねたところ“木田君と会って話したときの感触が良かったから…”と仰っていましたけど、私自身は広島が指名権を得た直後から『来年に賭けよう』という気持ちを固めていました。」と語っており、広島球団側のスカウティングに不備があった可能性も窺われる[3]。
- ^ 木田本人は「『契約金を現金でなく、その分の土地でいただけませんか』と聞いてみたんです」「(先述の発言がスポーツ新聞の一面に『前代未聞 木田 法外な要求』という見出しで大きく出てしまい)それで初めて、自分はまずいことを言ったのかな、と思いました」「(契約金は税金を引かれたら4000万円程度になってしまうので)6000万円分の価値のある土地でいただいてもいいのかなと。単純にそう考えただけでした」と述懐している[3]。
出典
- ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、181ページ
- ^ 「阪神・村上頌樹が新人王とMVPをダブル受賞 セ・リーグ初の快挙に「名を刻めてとてもよかった」」『サンケイスポーツ』2023年11月28日。2023年11月28日閲覧。
- ^ a b 横尾博一著「第一回選択希望選手―選ばれし男たちの軌跡 プロ野球「ドラフト1位」という人生の"その後" 」第3章における木田自身へのインタビューにて
- ^ a b c d e f g h i j ナンバー『ヒーロー伝説』文春文庫、1992年、P38 - 45
- ^ 「木田勇さん、パだからできた!ルーキーイヤーのタイトル総なめ22勝(2/4ページ)」『サンケイスポーツ』2019年12月26日。2024年4月30日閲覧。
- ^ ナンバー『熱闘!プロ野球三十番勝負』文春文庫、1992年、P146 - 152
- ^ 「あの時、君は若かった」ルーキー秘話『Sports Graphic Number』2011年3月24日号、文藝春秋、2011年、雑誌26854・3・24、52頁。
- ^ ベースボールマガジン2月号 1974-1987 日本ハムファイターズ後楽園伝説 ベースボール・マガジン社 2021年 P31
- ^ 大沢啓二『球道無頼』(集英社、1996年)、P160-P162
- ^ 「木田勇氏が高木豊氏と1打席対決!空振り三振奪う」『スポーツ報知』2018年6月8日。2024年4月30日閲覧。
- ^ 「歴代授賞者」『日本プロスポーツ大賞』公益財団法人日本プロスポーツ協会。2021年11月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月25日閲覧。
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