木曽塚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 23:26 UTC 版)
木曽義高の墓と伝えられる塚で、裏山の中腹あたりにある。もともと木曽塚は常楽寺の西南100メートルほど(現在の住居表示に基づくと大船5丁目付近)のところにたっていたが、延宝8年(1680年)2月に現在の位置へ移された。木曽塚の付近には義高の許嫁である大姫の墓(北条泰時の娘の姫君の墓とも言われている)と伝えられている塚や木曽塚の由縁を刻んだ石碑が建つ。この石碑は鎌倉同友会が大正15年(1926年)に建てたものである。
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