木口小平への訂正
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 16:32 UTC 版)
美談の主は白神源次郎であると発表したあとの1年後、溺死を公表したため不都合が生じて第五師団本営は「実は喇叭手は白神源次郎ではなく木口小平である」と発表しなおした。教科書も7年後に訂正され、美談の主は木口へと移っていったが、その後も源次郎の人気は根強く残り、1932年(昭和7年)に軍人勅諭下賜50周年事業で21連隊が木口顕彰に動いた際には、白神説を否定するために、源次郎の除籍簿を「戦死」から「死亡」に書き直すような強引なことも行われた。 墓所、記念碑ともに船穂コミュニティバス柳井原線でアクセス可能。堅盤谷バス停下車すぐ。 典拠管理 FAST: 166019 LCCN: n85124509 VIAF: 38348260 WorldCat Identities: lccn-n85124509
※この「木口小平への訂正」の解説は、「白神源次郎」の解説の一部です。
「木口小平への訂正」を含む「白神源次郎」の記事については、「白神源次郎」の概要を参照ください。
- 木口小平への訂正のページへのリンク