木下会による小椋義政殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:37 UTC 版)
「姫路事件」の記事における「木下会による小椋義政殺害」の解説
1980年1月10日夜、木下会平岡組組員・片岡一良と平岡組組員・池元幸男の二人が小椋の事務所を襲撃、小椋と山口組小西一家小島組組員・水杉義治を拳銃で射殺した。翌11日には竹中正久と細田組・細田利明組長、岡山市の竹中組の竹中武組長が、津山市の杉本宅に集合。13日に津山市の経本寺で小椋の葬儀が営まれ、直ぐ様竹中組が木下会会長の高山雅裕の愛人宅を銃撃。高山は兄弟分の白龍会・山田忠一組長に調停を頼み、山田から湊芳治を通じて両者の仲裁が図られた。 高山は、湊、山田と姫路市の大崎組・大崎英良組長と相談し、高山が小椋の霊前に線香をあげることを、白龍会・吉田勇副会長を通じて竹中正久に伝えた。平岡組・平岡篤組長は断指し、高山は湊・山田・大崎英良とともに竹中正久に会い、平岡篤の指と香典400万円を手渡した。さらに「小椋と水杉の殺害に関係した木下会組員を絶縁にする」と高山は表明したものの、湊が「絶縁まではしなくてもいいだろう」と発言し、その場は竹中も高山も湊の提案を了承した。
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