朝鮮・日本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:26 UTC 版)
東には高句麗や夫余が勢力を張っており、こちらも王莽の対応のまずさにより、一時期離反していたが、光武帝が即位すると率先して朝貢を行ってきた。しかし後漢の統制力が衰えてくると再び離反し、高句麗は玄菟郡を攻撃して西に追いやっている。更に楽浪郡にも攻撃を続け、この地方の覇権を確立した。 後漢書東夷伝の記述で知られるように、この時代には日本列島の人々が中国の王朝と直接交渉していることが知られ、福岡県志賀島で発見された「漢委奴国王」金印がこれを裏付けている。
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