服部ハウス
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1933年(昭和8年)、港区白金に洋館を建てる。設計者は高橋貞太郎。敷地面積は16,815㎡。この洋館が「服部ハウス」として広く知られるようになった契機は、第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部の進駐に伴って接収されたことによる。1945年12月から1年間、極東国際軍事裁判(東京裁判)に携わるジョセフ・キーナン首席検事ら10人の検事の住居となったほか、1948年8月からは東京裁判の判決文の翻訳作業が行われた。翻訳作業が行われた期間は、邸宅の周囲には秘密保持のために鉄条網が張り巡らされ、翻訳陣は邸宅内に缶詰め状態とされた。
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