最上氏系図異説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 22:54 UTC 版)
最上氏の系図には異説がある。特に4代満家の死後、義定に至るまでの系図は信憑性が低いとされる。以下に主な異説を紹介する。 最上満家の死後、家督を継いだのは最上義春ではなく兄の最上頼宗で、義春は頼宗の死後に家督を継いだ。 最上義秋は頼宗・義春の弟ではなく、義春の子である。 最上満氏は義秋の養子ではなく実子である。 最上義淳は満氏の弟である。 満氏は義秋を殺害して主家を乗っ取った(論拠として、義秋に最も血統が近い成沢義総・杉山義旦兄弟は分家していることが挙げられている)。 最上義定以降は異説は少なくなるが、中野義時は実在しないとの説が有力となるなど異論は存在する。
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